検索エンジンの使い方 ~表示順位は情報の確かさとは無関係。etc.~

 

インターネットでちょっとした調べ物をしようと思ったら、ほとんどの方がGoogleなどの検索エンジンにまずはキーワードを打ち込んでみるだろうと思います。著者もそうです。

非常に便利で強力な検索エンジンですが、使い方には少し注意が必要な部分もあります。

ネットにあまたあるデータとの兼ね合いも深い部分ですが、インターネットとのつきあい方も含め、使う上で注意した方が良い点をいくつかまとめてみます。

検索結果の表示順と中身の善し悪しは全く無関係

多分これが検索エンジンを使う上での一番のキモになる部分で、かつ、「罠」にもなる極めて重要なポイントです。

Googleでの検索結果の表示の順序は、表示されるサイトの情報の中身の善し悪しとは一切関係がありません。

また、表示されるサイトに書かれている内容が正しいかどうか、ウソが含まれているかどうか、そういった内容とも「完全に」無関係です。

Googleをはじめとする検索エンジンすべては、各サイトに書かれていることの「意味を全く理解できません」。

というかこの部分は検索エンジンに限ったことではなく、今、世界中に存在するすべてのコンピュータは「文章の意味を理解できません」。AI:人工知能などと呼ばれるシステムでも同様です。

ぶっちゃた書き方をすれば、コンピュータってそんなに賢くありません。

この部分はしっかり覚えておきましょう。

今ある検索エンジンや人工知能などは、膨大な量のデータと「パターンマッチ」である条件に近いデータを探してくる、そういう動作の積み重ねでそれらしい回答を用意しているだけです。

では、Googleの検索結果の順位付けがどうして出来上がるかと言いますと、Googleが内部的に用意しているネット上のページの内容の「機械的」な評価基準に従って点数付けを行って、その点数の高いページが上位に表示されます。

その基準はページの体裁であったり、他のサイトから張られているリンクの数であったり、本当に比較的単純な機械的基準での採点です。

その基準の中にページに書かれている内容自体、意味自体の評価は一切含まれていません。そういうものは今の「文章の意味を理解できない」コンピュータでは評価が出来ませんから。

SEO

Googleはそのページの評価基準を秘密にしていて一切公開していないのですが、その仕組みを経験則から推測して、ページの評価を高める方法が今ではビジネス化されてしまっています。

それが「SEO(Serch Engine Optimization)」という手法です。

こちらを徹底すれば最近問題になった「キュレーションメディア」のように、内部にデマ情報を抱えた状態でも検索エンジンの評価を高くして、常に検索結果上位に表示させることも可能になります。

こういった事情がありますので「検索結果を信じるな」とまでは言えませんが、「検索結果の順位付けを信じるな」は真理になってしまっています。

ネットの情報は玉石混淆

もう一つ注意すべき点は、ネットで調べたものはなぜか裏を取ることなく、デマ情報でもそのまま信じられてしまうケースが多そうな部分です。

現実社会では出版物によってその内容をどの程度信用できるか、ある程度は事前に考慮する方が多いと思います。例えば、一般的な新聞やTVニュースなどは比較的正しい確度が高そう、ゴシップ誌は眉につばをして読む、などなど。

実のところネットの様々なページも、信頼度が高いところから低いところまで、リアルの出版物と同じようにあれこれごちゃ混ぜの状態です。ネットでは素人も情報発信が可能な分、もっと、いいところから悪いところまでの幅が広くなっているとも言えます。

ですから、本来であればサイトの「ブランディング」のようなことが前提として存在して、このサイトに書いてある内容は比較的正しい可能性が高い、こっちのサイトはデマ混じり、などと切り分けが行えると良いのですが、まだネットの世界はそうはなっていないように見えます。

あちこちのサイトに掲載される内容はまさに玉石混淆ですので、しっかりと読む側が裏を取る行為が本来必要です。ですがそれが省略されて、ただネットに掲載されている、というだけで無条件に信じ込んでしまいがちという傾向があるように思います。

ここが一番危険です。

面倒かもしれませんが、まずは書いてある内容を疑ってみること、それが一番安全なネットの情報とのつきあい方と言えるでしょう。

まとめのようなもの

今は、商売としてフェイクニュースを大量に発信することで広告料収入を得る、などといった非常に悪質な偽情報発信者も存在します。そういったデマが、先のアメリカの大統領選の結果にも影響を及ぼしたのではないか、とも言われています。

ネットの世界は現実社会側の出版物以上に、情報の質のばらつき具合が巨大になっています。

きちんとネットとつきあうには、ユーザーそれぞれがしっかりしたリテラシというやつを鍛えていく必要があるのです。ちょっと面倒ですけれどね。